福井葵ライオンズクラブ

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会長メッセージ

2024年~2025年度

会長 / 横山 純治



スローガン

『友愛と慈愛の心で We Serve ~次の未来へ~』


ごあいさつ

 

 福井葵ライオンズクラブ第52代会長を拝命するにあたり、一言ご挨拶を申し 上げます。
 まず初めに、令和6年1月1日に発生いたしました能登半島地震におきまして 甚大なる被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興 を心よりお祈りいたしております。
 私は、平成20年に入会させていただき、早いもので16年が過ぎました。
 ライオンズクラブの活動の中で、多くの貴重な経験をさせていただきましたが、 入会当時は会長という大役をさせていただくことになる日がくるとは夢にも思っ ておりませんでした。 今日この場に立たせていただいておりますのも、皆様のお 力添えがあったからに他なりません。ありがとうございます。
 
 さて、今年度の杉木ガバナーの基本方針でもございます、「思いやりの奉仕」 を念頭におき、今世の中からライオンズクラブは何を望まれているのか、私達の クラブで何が出来るのかを見極め、相手の立場に立って心のこもったアクティビ ティを皆様と一緒に行っていきたいと考えております。
 この一年、福井葵ライオンズクラブがこれからの50年に向かう為の礎の年に なりますように、微力ではございますが一翼を担って参りたいと思っております ので、皆様方には今まで以上のご支援、ご協力を賜りますよう、お願い申し上げ ます。
 
【同じ目標を持つ仲間同士の強い絆と、自分の子供に対する愛情のような気持ちで、弱者や困難に遭遇している人に優しくいたわる心をもって助ける】
 
運営方針
1.クラブ会則の見直し -現在の情勢に見合うように改正-  
2.会員の増強及び退会者ゼロの推進
3.会員間のコミュニティ向上にむけた例会開催
4.地区ならびに全国友好葵など外部行事への参加推進
 
事業方針  
1.能登半島地震 復興支援に向けた協働事業
2.継続事業の見直し  -発展的な進化-
3.SDGs17の目標を考慮した奉仕活動

福井葵ライオンズクラブ役員名簿


日本ライオンズ各地区分布図


福井葵ライオンズクラブ情報

クラブ名称  福井葵ライオンズクラブ
結   成  1972年11月07日
認証状伝達式  1973年3月21日
クラブ番号  25136
地区順位  64
日本順位  1710
スポンサークラブ  福井中央ライオンズクラブ
例 会 日  第2・第4 木曜日
例 会 場  福井商工会議所ビル 地下『国際ホール』
クラブ事務所  福井商工会議所ビル 6F
電話・Fax番号  Tel (0776) 33-1862 FAX (0776) 33-1863
Emeil  fukuiaoi@skyblue.ocn.ne.jp

ライオンズクラブ国際協会の歴史と概況

沿革

ライオンズ国際協会は1917年アメリカ合衆国シカゴ市で誕生しました。
創立者メルビン・ジョーンズは当時シカゴ市において保険代理店を経営し、ある実業団体の会員として市の有力者たちと交際しているうちに、こうした集まりが単なる商売上または社交上の集まりにとどまらず、社会のためになにか有益な団体となり得ないだろうかという夢をいだきはじめた。 そこでメルビン・ジョーンズは合衆国内の各種団体に呼びかけて、各地の指導的立場にある人々による社会奉仕団体の結成を目論みました。
そして1917年10月8日から10日迄の3日間、22クラブの代表者36名がダラス市に集まり第1回の大会を開催し、正式に 「ライオンズクラブ協会」 の名称を採用しました。その後1920年にカナダ・オンタリオのウィンザー市にアメリカ合衆国外で第1番目のクラブが結成され、協会の名称も 「国際協会」 に、なりました。
以来メルビン・ジョーンズが協会とともに歩んだ半世紀の間に、協会の目的と綱領に対する共鳴者は全世界に広がり、現在は世界193ヶ国に約140万の会員を擁する世界最大の国際的奉仕団体になりました。

日本のライオンズクラブ

日本のライオンズクラブは1952年3月に初めて東京に誕生しました。
当時なお険悪な対日感情が残っていたフィリピンのマニラ・ライオンズクラブによってスポンサーされました。
この恩響を越えて人類の進歩と平和を願うライオンズ精神は、日本の指導者たちをいたく感激させ、以来わずかの年月に多くの会員を獲得し、今では世界第3位のライオンズ国となりました。
このことはもちろん、日本のライオンズ草創時代の指導的ライオンの使命感と、熱心な新クラブ結成、会員増強運動によるものですが、もともと日本人の中につちかわれていた社会福祉に対する理解と、戦後日本の改正憲法に現れた民主制、国際性に沿って、国際伸展の時流に乗ったことも見逃せない事実です。